教員の出向人事・学校運営について
私の加入する教職員組合の、執行委員会グループで人事主事訪問のことが話題にあがりました。
人事主事は、教員の人事を担当するものです。
教育内容、指導内容は指導主事が担当します。
これは、教師の教育実践をもとに人事を行うことはあってはならないということで、所管の範囲を分けています。
戦時中は、教師の実践を管理して、人事に反映させてきました。それが、戦争遂行する政府に都合がいいからです。
戦後、戦前の教育をくりかえしてはならないということで、人事主事と指導主事の権限の及ぶ範囲を厳格に規定してきたという経過があるということを組合の先輩の先生から学んできました。
人事主事が教室に入ることが当たり前になった今でも人事主事が授業内容に口を挟むことは許されないという「タテマエ」すら無視して、校長や教頭が「人事主事が来るので」黒板には必ずめあてを書きましょう とか、タブレットを活用してくださいとか、教育内容や方法に関わる指示をしてきた時には、「人事主事さんが教育内容や方法に関わる観察や指導をされるということですか?」と問い返し、この問い返しの意味がわかってなければ先にあげたような、先輩たちから脈々と教え継がれてきたことを、滔々と語ります。
奈教附小の強制出向問題に照らすと調査主体と人事権を行使する主体が一体化しているという大きな問題があります。さらに教育内容・方法だけでなく、教室の子どもの姿までを問題視して、報告書が作成され、それらに基づいて強制出向が行われたのです。
これは奈良教育大学が、戦前の「師範学校」へ逆戻りする転換点ように僕には感じられます。なので、出向を強制させられた先生たちの訴訟を支援することは、それを許さない闘いでもあるのです。