私たちのフェイスブックグループでは「書写 筆ペンは有りか無しか」でズームで話し合いを持ちました。
参加者は9名と少なかったのですがイギリス、スエーデンからの参加者が1名づつ(日本人ですが)いました。
ことの発端は筆ペンを使用した習字が不適切という指摘がありました。ちょっと考えて見ると筆ペンの習字は便利ではないか。ということで書写教室の先生をお招きして話し合いました。書写教室は子どもだけでなく大人も対象とした教室です。とめ、はね、はらい等の基本的なことは指導しますが、進捗具合によって書く字を進めるのではなく書きたい字を書いてもらう方法です。鬼滅の刃等の流行により難しい字を知っている子どもも多く、その字を書きたがる子どもも多いそうです。
この報告はこの話し合いを基に私の考えでまとめさせていただきました。
1 習字は文字を美しく書くこと
欧米でのカリグラフィーやアラビア習字で文字を美し書くことの紹介しました。中国、朝鮮、モンゴル等の毛筆文化圏での習字の実態の確認を前提に勧めました。
2 書写の問題点
習字セットの購入費の問題、意外と高い。また授業の関係で兄弟でも兼用ができない。
準備、後片付けの時間 (墨を硯でするのは少ないと思います)
服装や机、教室等が汚れる
余った墨液の廃棄、筆等の洗浄(長年手洗い場でしていたため手洗い場の配水管が墨で詰まった)
等の問題を提案しました。保護者の立場からは習字のあるときは汚れてもいい服装にさせている。体育の服装で習字をしているとの話がありました。
3 書写教室の先生の話
書道教室は「ペン習字」「かきかた」「筆ペン」「毛筆」の4つのコースがあります。筆ペンと毛筆の関係では書写教室の先生は「筆ペン」と「毛筆」の併習を勧めると話してみえました。太い筆で大きな字を書く、筆ペンで書く回数を増やしで字を書くことになれることができる。毛質と筆ペンをうまく組み合わせることに習字力を付けることに繋がる。書く文字は小学校ではみんな同じ字を書いていますが子どもが書きたい字を書くことも大切である。鬼滅の刃の流行により難しい字を書きたがる子が公文教室では多いそうです。書きたい字を書くことにより習字への親しみを楽しみを得ることができる。
また筆ペンは筆の柔らさの種類が多く個人の筆圧にあった筆が選びやすいことも利点だそうです。普通の筆も種類はありますが筆ペンに比べ選び憎いそうです。筆ペンは大きい文房具店では試し書きができます。筆記用具としては鉄ペン(普通のペン)、ガラスペン、竹ペン等があります。筆ペンもカラーの筆ペンもありますし、文字用、絵画用と種類があります。目的に応じてペンを選択することも大切という感じでした。これに関しては学習指導要領において5、6年生は「目的に応じて使用する筆記具を選び,その特徴を生かして書く」と規定されています。書写教室ではカラーの筆ペンで好きな色で書くことも指導ししています。
後片付けは筆ペンはキャップを閉めるだけですみます。毛筆の方は洗う必要がありますが、時間がないためそのままにしておくと筆が悪くなる。その場合はペットボトルに付けておいて、後で回収するだけで筆の手入れに良いとのことでした。
書写教室以外にも美文字カフェを主宰してみえます。美文字カフェはカフェやオープンスペースで美しい字を書く教室です。どのような字を書くかは決まっていません。受講者が書きたい字を書きたい道具で書くことをお手伝いする形式です。文字を書くことでマインフルネスになることも主な目的の一つにしています。このことはSDGsNo3すべての人に健康と福祉をに繋がります。
書写教室先生は二刀流にも挑戦しています。二刀流とは右手と左手に筆を持って字を書いていく手法。色の違うカラー筆ペンを以て左右交互に書いていきます。右利きでは左手で書くのは最初は難しいですがなれてくればだんだんと書けてきます。左手で書くことのもう一つの理由としては左利きの人たちへの毛筆の指導になります。昔は左利きの人も書写だけは右手で書くように指導していました。左手で書ければ無理に右手で書く必要はありません。左手の場合はとめ、はね、はらい等の指導の工夫は必要ですが左手書きは可能です。
習字の作品を朱液での修正のについては次のように指導しているとのことでした。字の上から朱で修正するとその作品を全否定してしまうおそれがあるのでしたいいません。書いた字が手本に比べて違っている場合は、直した方がよい字を点線で書いてこう直した方が良いよと言っています。そうするとどう直した方が良いかよくわかります。
4 みんなの話し合い
みんなの話し合いは筆ペンは有りでした。全部筆ペンでするのかになると疑問のようでした。筆ペン使用は不適切については皆さんおかしいということでした。子どものことが一番わかっている、現場の先生が子どもに最適な教材や教具を選択して欲しいという意見が多く述べられました。
参加した保育園の先生からは1歳児から筆を使わせ書き初めもしたいる、ただし文字ではなく書きたいものを書かせている。
保護者の立場からも、書道教室の先生から次のような話がありました。授業参観で教室に行くとみんな同じ字の習字が掲示してあります。絵画なども掲示してありますが、習字は差が一目瞭然になります。習字が苦手な子どもにとっては公開処刑みたいなようです。頑張って書いているのになかなか書けない。本当に全員掲示していいのでしょうか。
また同じ字を書く必要があるのかという指摘が書写教室の先生からありました。教室でカラー筆ペンセット(一番多いのは80色セットがあるそうです:呉竹)を用意して、好きな色で好きな字を書く機会があってもいいのではないかという指摘がありました。
左手の習字ははらい等の指導は少し異なりますが尊重すべきと考えている。人口の約10%が左利きとの統計があります。「SDGsNo10人や国の不平等をなくそう」にも繋がります。道具の多くが右利き用になっていますが習字の場合でも左利きの人は尊重されなければなりません。昔は無理にでも右で書かせてた時代もありましたが考えを改めるべきだと私も考えます。また脳梗塞は発症すると右に症状がでやすい。左で書くのも大事なことという意見もありました。
奈良に関係したことがありました。奈良の農家の方が規格外の廃棄野菜を利用して作られた染料を利用して習字教室や美文字カフェで利用しているとのことでした。この話は保育園の先生から小さい子どもに墨を使うのが心配でしたがこのような染料があることを知って助かりましたという意見が寄せられました。SDGsNo12作る責任、使う責任にも繋がります。フードロスをなくすと言うことでSDGsNo2にもつながります。
以上私たちの仲間の話し合いを簡単にまとめました。
私は20数年前附小に通っていた者です。
村田さんは今の附小の先生なんでしょうか?それとも問題提起を附小で行った外部の方なのかで話は変わるのですが
もし附小の先生ならば、教育レベルが落ちたと感じます。
私が在校中にも墨でするか墨汁かで話もありましたがこれは先生と生徒でまず話し合いをしました。
結果どちらでもいいですが、必ず墨ですって大変さや墨の作り方、歴史墨汁との違い、さらには奈良ならではの販売店へのインタビューなどわざわざ「苦労」し「理解」して墨汁を使うというものでした。
この考えは生き方やどんな仕事にも通じています。
物事を知って「ショートカット」するのか何も知らずに「ショートカット」では全く異なるからです。
ただ「文字」を書くだけなら最初から筆ペンでいいですが、それなら習字教室や通信でいいです。
あくまで学校は「教育」の場
多様性とは既存を否定することでは無い
昔の先生達はこの事を解っていたと思います。
小学校教員ですが、今なんて書道セットはランドセルに収まるくらいコンパクトだし、筆と筆巻きぐらいしかいちいち持ち帰りません。バス通学の子ども達に配慮した、と別記事にありますが、現場の教員からすると、それは筆ペンに変える理由にはならないです。創造的実践とまるでユートピアのごとく祀っている人がいっぱいいますが、筆ペンのどこが創造的実践なのでしょう。道徳を全校集会だけでなど、一人ひとりの気持ちの揺れ動きをどう読み取るのでしょうか。道徳は、クラスの子どもたちをよく理解している担任が、それこそひとり一人の考えに寄り添いながら、丁寧に、そして答えは出なくとも、考えの道筋を各々が辿る時間ではないのでしょうか。
習字、及び書道は、日本の文化の一つです。茶道、華道、武道、弓道、等。
限られた時間内で、毛氈に半紙を敷き、墨をすり心を静めて文字に集中する。
これらは、日本の文化の一端を知りさらにデジタル化された社会の中で、次世代に繋げていく大きな役割があります。
小学校で行う毛筆は中学校への毛筆に繋がり、また、高等学校での芸術教科へと発展していきます。
昨今、受験教科ではない教育を軽視する風潮がありますが、毛筆を軽視することは、芸術教科軽視に繋がります。
また、準備や片付けが面倒なものは排除するという教育現場が抱える問題から、子供たちに充分な授業を提供しないことで、短絡的な思考主義者を生む危険もあります。
面倒くさいことを丁寧にする、敬意を払うことこそが教育ではないでしょうか。
稲作やモノづくりも時間がかかりますもの。