数日前の岡山輝明さんの投稿、「『開かれた学校』とは何でしょうか?」を読み、とても励まされましたし、考えさせられました。有難うございました。
■わたしは、28歳で付小に赴任し、60歳で定年退職したのですが、赴任してまず驚いたのは、通常発達学級でも障害児学級でも、入学を発達調査と抽選で決めているということです。エリート校ではないのです。「どの子にも」「どの子をも」が理念であり、それは今も同じで、付小は多様さを尊重する学校です。(2月12日に「教員の出向人事・学校運営について」に投稿した『学校は多様さが保たれる場であってほしい…』を読んでいただけると嬉しいです)
この点からは《付小はすべての子どもたちに開かれた学校》だと思っています。
■また、付小は、人類が築いてきた文化(科学、芸術、体育など)の本質に基づく授業を追究している学校です。
「教科の授業は何のためにあるのか?」「国語科ではどんな力を培うべきか?」「図工科では何をこそ大事にすべきか?」と、教科教育全体の意義や、一つひとつの教科や題材のねうちを、子どもたちとともに、こんにち的にほり下げ続けてきました。
この「サイト」に寄せられた声のなかにもこうした営みへの賛同がいくつもあり、未熟であるにしても、その方向は間違っていないと確信しています。
こうしたことから、《付小は人類が築いてきた文化に開かれた学校》であり、そのことによって、《付小は人類の未来に拓かれた学校》であると思っています。
■付小では、学校方針づくりに約2カ月(4月始~5月末頃)を費やします。研究企画部による討議の柱だて⇔低・中・高・障部会での討議⇔教科部での討議⇔各部署での討議⇔全体の教員会議での討議、これらを何層にも重ねてミルフィーユ状に画されます。
身分や勤務年数に関係なく、教員一人ひとりが何度も何度も発言し、自分事として学校方針づくりをすすめます。
そして年度末には約1カ月をかけて総括をし、次年度につなぎます。
こうしたことから《付小は民主主義に開かれた学校》だと思っています。
岡山さんが仰っている、
「『開かれた学校』とは何でしょうか?誰に対してでしょうか?」
を多くの意見で深めていきたいと願います。
山室です。「ゲスト」さまには重ねてコメントを寄せてくださり有難うございます。
わたしも奈良女子大附属の「学習研究発表会」に何度か伺い、長く発刊され続けておられる「学習研究」誌を購読していたことがあります。大正時代からの、日々の子どもたちのくらしに着目した独自の教育課程『木下プラン』や『奈良プラン』の流れを引き継いだ「自ら伸びる子どもたち」の理念に惹かれるものです。
(余談になりますが、奈良教育大付小の遥か前身の奈良師範学校附小の『吉城プラン』もとても独創的な教育課程です!)
また、奈良教育大付小の「教育研究会」にも長く関わってきました。 「学習研究発表会」と「教育研究会」の呼称の違いも着目したいところです。
こうした点からの「開かれた学校」づくりの論議が高まることを願っています。
奈良教の附属も奈良女の附属も研究会に参加し、まあどちらもよい取り組みはしていると思いましたよ。でもさ、奈良女2000人、奈良教200人の参加者の差って何だかなあって。同じ大学組織で奈良市内にある学校なのに。奈良女の方が教員の関心が高いっていうこと?どっちもよい研究会だったけどなあ。
【ゲスト】さま
先のわたしの投稿で「『開かれた学校』とは何でしょうか。多くの意見で深めていきたいと願います」とお願いしたところ、さっそく忌憚のないご意見を寄せてくださり、また、理念にご賛同いただき有難うございました。
重ねて「具体的な授業のレベル」でのご指摘、有難うございます。
わたしも秋の研究会に参加いたしました。
ただ、わたしがおこなった授業ではないため、また、実際の「授業の在り方」を具体的に理解できていないため、意見交換の方法に悩みます。
差し支えなければ、「管理人まほろば」さんを通じて連絡先などやり取りさせていただければ幸甚です。唐突にお願いすることご赦免くださいますよう。
「通常発達学級でも障害児学級でも、入学を発達調査と抽選で決めているということです。エリート校ではないのです。『どの子にも』『どの子をも』が理念であり、それは今も同じで、付小は多様さを尊重する学校です。」には同意します。その部分は教育大附小の強みでもあろうと思います。
しかしながら、具体的な授業のレベルで、一部の先生方の「個人的な思い」が公教育に影響を及ぼしている姿も目の当たりにしました(11月に参観しこの目で見た事実です)。授業は子ども同士の対話ではなく、先生の個人的な思いに誘導する構図となっていました。そもそも先生の個人的な思いはさておいたとしても、子どもの反応を無視して一方的に誘導していく授業の在り方には疑問を感じます。