私は奈良教育大学付属小学校がこれまで積み重ねてきた教育を支持します。
敗戦を迎えた日本は民主的な国家をつくるために、これまでの教育制度の見直しをはかりました。
1946年5月に、文部省から軍国主義・国家主義の排除や、人間性の尊重、民主主義の徹底、平和的文化国家の建設などを含んだ「新教育指針」 が出されました。そして、教育の目的を「国民の再教育によって、新しい日本を、民主的な、平和的な、文化国家として建てなほすことは、日本の教育者自身が進んではたすべきつとめ」としています。
何よりも特筆すべきは、「ここに書かれている内容を、教育者におしつけようとするものではない。したがつて教育者はこれを教科書としておぼえこむ必要もなく、また生徒に対して教科書として教へる必要もない。むしろ教育者が、これを手がかりとして、自由に考へ、ひ判しつつ、自ら新教育の目あてを見出し、重点をとらへ、方法を工夫せられることを期待する」と述べている点です。新しい教育の担い手としての教師への期待と共に、戦前の国家によって規制された教育ではなく、教師の自立性自主性を重んじる教育を期待していたことがわかります。第1篇の結びで、「これからの教育は人間をつくればよいか」という問いに、「われわれは新しい日本を平和的文化的国家として建設しよう。そして平和を愛し文化を求める人間をつくろう」と教師に呼び掛けているのです。
この頃から78年もたって、時代は変わったと思われるでしょうか?私はそうは思いません。「新教育指針」は教育勅語のように失効していません。教育にとって、目の前にいる子どもたちを見ながら、その子たちに何が必要かを常に感じ考えたうえで、教師たちは日々教育課程を考え、取り組んでいます。行政がここの学校における教育内容に踏み込み、学習指導要領という一律の物差しに当てはめて、それに規制を加えたりすることは、教育にとってマイナスでこそあれ決してプラスにはなりません。
奈良教育大学付属小学校では長年にわたり、様々な研究に基づいて子どもたちの成長や発達のための授業を実践してきました。また、その教育に多くの児童や保護者は賛同しています。
文部科学省、奈良県教育委員会などによる奈良教育大学付属小学校への介入に強い憤りを感じ、奈良教育大学の先生方や児童、保護者を応援したいと思い投稿いたしました。